高校を卒業しても、懲りずに小学・中学の仲間と
地元の体育館を借りて、時々バレーをやったりしていました。
教員になってからは、バレー部の副顧問(正顧問は体育の専門の
先生です)になって、合宿も練習も生徒達と同じ
ジャージを着て、時には生徒と間違えられつつ
頑張っていました。
結婚して埼玉に来て、すぐママさんバレーを始めたのですが
その後、当時勤務していた司法書士事務所の仕事が忙しくて
夜8時とかにしょっちゅうなったので、夜の練習にいけなく
なり、長い長いお休みに入りました。
時々は「またやりませんか」という声をかけていただいて
いたのですが、受験勉強しながらの塾や家庭教師の仕事は
夜だったので練習に行くことができません。
ちょうど、司法書士試験に合格した頃、再び昔の
東松山選抜の時の監督さんが声をかけてくれて
またバレーを始めました。
すっかり体は重くなりましたが、今のチームは
がつがつしたところもなく、和やかな雰囲気なので
のんびりやってます。
家にこもっていた私を、バレーに押し出してくれた
両親と当時の担任のおかげで、こんなオババになっても
まだ楽しめる世界を持ち続けていられることは
本当に感謝です。
そしてその長いバレー生活の中で、色々な場面で
出会った方たちに、今は心からお礼を申し上げたい気持ちです。
セッターは、レシーバーのあげてくれるボールがなければ
そして、打ってくれるアタッカーがいなければ、存在できないのです。
そして、試合の時も練習の時も、ボール拾いをしてくださったり
色々な裏方を務めてくださる方がいなければ
成り立たないのです。
まさに、1人ではできないプレーなのです。
それは人生でも同じですね。