プロフィール

マルコ

Author:マルコ
埼玉県で司法書士事務所をひっそりやっています。
大学時代に、学園祭の準備で泊り込んだ友人宅で、あまりのおしゃべりと、おっちょこちょいで友人の家族に「ピーピー」と名づけられて、早ウン十年。
現役司法書士となった今も、ドタバタドタバタと、本来の自分の性分を隠せずにやっています。でも依頼主のお役にたてることなら、なんでも頑張ります!!


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まだまだ

朝から、年賀状の印刷をしようと思ったら
筆王がうまくいかない!

そんなわけで午前中は頭がいっぱいになり
しょうがないから、宛名は手書きに・・・

午後は・・・・思いもかけない電話を頂いたり
急に見えた方には対応できず、
色々なことがいっぱいになって、今年1番のパニック日は
22日だったはずが、今日も危なかった(涙)

明日で業務は最後なのですが、29日もちょこっと
働かなければなりません。

助けてくださる事務員さんには、本当に感謝です。
1人ではとっくに倒れてました・・・。

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冬空

今日は冬至なんですね。

1年で一番、バタバタしそうな予感だった1日が
終わって、車に乗る前に夜空を見たら星がとっても
綺麗でした。

もしかして、「あれ?流れ星かな?」っていうのも
ありましたが、一瞬でよくわからなかったです。

年末のヤマをなんとか越えつつあり、これで何とか
年内おさまりそうかなあ。

支えてくださる事務所のスタッフに感謝です。

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高校を卒業しても、懲りずに小学・中学の仲間と
地元の体育館を借りて、時々バレーをやったりしていました。

教員になってからは、バレー部の副顧問(正顧問は体育の専門の
先生です)になって、合宿も練習も生徒達と同じ
ジャージを着て、時には生徒と間違えられつつ
頑張っていました。

結婚して埼玉に来て、すぐママさんバレーを始めたのですが
その後、当時勤務していた司法書士事務所の仕事が忙しくて
夜8時とかにしょっちゅうなったので、夜の練習にいけなく
なり、長い長いお休みに入りました。

時々は「またやりませんか」という声をかけていただいて
いたのですが、受験勉強しながらの塾や家庭教師の仕事は
夜だったので練習に行くことができません。
ちょうど、司法書士試験に合格した頃、再び昔の
東松山選抜の時の監督さんが声をかけてくれて
またバレーを始めました。

すっかり体は重くなりましたが、今のチームは
がつがつしたところもなく、和やかな雰囲気なので
のんびりやってます。

家にこもっていた私を、バレーに押し出してくれた
両親と当時の担任のおかげで、こんなオババになっても
まだ楽しめる世界を持ち続けていられることは
本当に感謝です。

そしてその長いバレー生活の中で、色々な場面で
出会った方たちに、今は心からお礼を申し上げたい気持ちです。

セッターは、レシーバーのあげてくれるボールがなければ
そして、打ってくれるアタッカーがいなければ、存在できないのです。

そして、試合の時も練習の時も、ボール拾いをしてくださったり
色々な裏方を務めてくださる方がいなければ
成り立たないのです。

まさに、1人ではできないプレーなのです。

それは人生でも同じですね。
自分は、ただ目の前のことに夢中なだけでした。
他の人のことや、周囲に支えられていることなど
なんにもわかっていなくて、
たとえ明確な悪意がなくても、人間というものは
知らず知らずに人にいやな思いをさせてしまうことが
あるんだということを、ずっとずっとあとになって
やっと、少しわかった次第です。

そんなバレーでしたが、高校に入学する前に
中学の顧問から「大学進学したいなら、
高校では運動部に入ってはいけない」と言われました。
運動なんかしてたら、大学いける力なんてないんだからと
そういう意味だったのだと思います。

それなのに、またまたいつの間にか高校でも
バレー部に入ってしまったのです。
女子が2割しかいない高校で、私が入学する年までは
女子の運動部はなくて、バレーも同好会でした。。。。

小学校・中学とともにチームメイトだった6人が
最高のメンバーだったので、正直このメンバー以外と
バレーをやることは考えられなかったのに
なぜか入ってしまって、それで同好会も部に昇格して
またまた熱心な顧問に出会って、高校でも
一生懸命やってしまいました。

高校は泊まりの合宿がありましたから、それも苦しい
今思えばかけがえのない経験です。
顧問が「関東大会に出られれば筑波大学に推薦でいける」と
言ったので「それはいい!」と思って、頑張りました。
結果はあと1回勝てば関東大会いける、というところで敗れ
「なんだ、やっぱり受験勉強しなきゃいけないんだ!!」と
焦った次第です(顧問にだまされたかも(笑))

続きます
私が、大人になってずっとずっとたってから、
あるときはっと気がついたのです。

あの先輩はどんな思いだったんだろう。

そして、その先輩と同級生のアタッカーの先輩達も
どんな思いだったろう。

幸いにして、私がコートに立つことで、いじめられたり
いびられたりしたことはなかったのですが。

私は、一瞬たりとも手抜きプレーなどはした覚えは
ありませんが、コートに立てない、ベンチにいる人たちの
ことを思ったことは、正直ありませんでした。
自分のプレーだけで精一杯だったのです。

それはプレーヤーの姿勢としては、どうなんだろう。
相当恥ずかしかったのではなかったかと、今は痛切に思います。

今年のサッカーのワールドカップで
日本代表のメンバーがゴールを決めるたびにベンチへ走っている
姿を見て、改めてまたその思いに至りました。
ある時期にプレーヤーとしてそれなりに必死で
やってきたつもりでも、自分の姿勢はどうしようもなかったなと
思うのです。

今その先輩はどこでどうしていらっしゃるか
わかりませんが、私のことを何も言わず見てくれていたこと
複雑な思いを抱きながらも、普通に接してくださっていたことを
本当にありがたく、思っています。

試合のたびに、ベンチで応援してくださる方たちへ
思いを寄せることができなかったことを
本当に恥ずかしく思います。自分のプレーの足りなさとか
どうしたらもっと、アタッカーに打ちやすいトスを
上げられるかとか、そんなことしか考えていませんでした。

続きます

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入学した中学のバレー部はちゃんとした顧問がいなく
3年生しか試合に出られないことになっていて、
1年生2年生はほとんど球拾いです。

「うっ。マジかよ~」と思いましたが、なぜか6人とも
やめませんでした。

2年生になったら、とても熱心な先生が転勤してきて
今まで最上級生しか出られなかったチームの方針を
変えて、学年を問わない混合チームになったのです。

私はセッターだったのですが、先輩アタッカーに混じって
メンバーに入りました。

そうして、その時は何も考えずに、ただひたすら先輩達に
トスを上げていました。

1年上の先輩が引退する最後の試合も私はずっと
コートに入っていました。
たまたま私の母親がその試合を見に来てくれていたのですが
帰宅して母親が
「今日、試合が終わった頃、あなたのチームの1年上の先輩の
セッターの人のお母さんが見えたわよ」
「そのお母さんは『うちの子は絶対に試合を見に来ないで』って
言うけど、今日で最後だからこっそり見に来たの。
でも、もう終わっちゃったのねえ。残念だわ、って言ってたよ」

私のひとつ上の先輩は、セッターとして一度もコートに
立っていないのです。
それを、お母様に言えず、試合に来るなと言っていた

そう私の母は言ったのです。

でも、当時何も考えないでお気楽に生きていた私には
その意味することが、よくわかってませんでした。

3年生が引退すれば、今までのチームの事情から言えば
その先輩が次は順番としてセッターとして、コートに立つはずでした。
たまたま指導者が現れて、指導方法が変わったために
その先輩はコートに立つ機会がなかった。

そしてその先輩がどんな思いでいたのか、私には
全くわかっていなかったのです。

続きます

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小学校に入学と同時に引っ越したので
田舎だったから、転校生みたいになってしまって
なじめずに、家で本ばっかり(半分は漫画)読んで
引きこもっていた私を、心配した両親が
担任に相談。

担任がスポーツ少年団でバレーの指導をしていたので
親の強力な勧めで、バレーをやる羽目に・・・

最初は練習に行くのがイヤで、押入れに逃げていたりも
したけど、そのうち友人達と一生懸命にやる楽しみが
出てきて、小学校最後の2年間はまさにバレー漬け。

毎日の朝練は当然のこと、1月1日まで「初打ち」とか言って
練習があったんです。

でもおかげで関東大会で優勝もしたし、土日で静岡や
茨城に泊まりで遠征に行ったり、台湾からの選手が来て
試合をしたりと、よい体験ができたと思います。

チームメイトの6人はいつも固定で、メンバーとしては
これ以上ないという仲間でした。

それでも、さすがに練習ばっかりの生活に疲れて
中学に入ったら「違うスポーツやろう」と思って
それぞれ違う部に体験入部とかしていたのに
気がついたら、6人ともいつの間にかバレー部にいました。

続きます。

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